『ケベック州、ついに独自の「憲法」を発表へ』なんてニュースをみて仰天しました。
今日はちょっと偉そうに、歴史的背景も含めてどんなニュースなのか書いて見たいと思います。
1867年から続く「連邦の枠組み」と1982年の未署名問題を背景に
ケベック州政府は、かねてから準備を進めていた州独自の「ケベック憲法」を今後数日以内に発表する方針を明らかにしました。
司法大臣サイモン・ジョラン=バレット氏(Simon Jolin-Barrette)はSNSで「この憲法はケベック民族にとって“鏡であり盾でもある”」と語り、州のアイデンティティを法の形で明確に示す意図を強調しました。
「自分たちの法を持つ」200年越しの悲願
ジョラン=バレット氏によると、憲法の目的は次の3点です:
- ケベックの価値観・権利・アイデンティティを守る
- 公的機関の自律性を強化する
- ケベック人を国家理念のもとで団結させる
「人々が200年間求めてきたプロジェクトを、私たちがついに形にする」と同氏は述べています。
この構想は2024年秋から本格化し、専門委員会が108ページにわたる報告書を提出。
フランソワ・レゴー州首相(François Legault)は9月の内閣改造後、この「ケベック憲法」を政権再起の目玉政策に掲げています。
背景にある「二つのカナダ憲法」
ケベックの動きには、カナダの憲法史に根ざした複雑な背景があります。
まず、1867年の「英領北アメリカ法(British North America Act)」が、現在のカナダ連邦の出発点となりました。
この法律により、オンタリオ・ケベック・ノバスコシア・ニューブランズウィックの4州が一つの「連邦国家」として成立し、連邦と州の権限が定められました。
つまり、1867年の法は「カナダという国を作った法律」です。
しかしその後、憲法の改正にはイギリス議会の承認が必要という仕組みが長く続き、完全な主権国家とは言えませんでした。
これを改めるために制定されたのが、1982年の「カナダ憲法法(Constitution Act, 1982)」です。
この新しい憲法では、カナダが憲法改正の権限を自国に取り戻し、さらに「カナダ権利と自由の憲章(Charter of Rights and Freedoms)」が導入され、人権保障や言語の権利が明文化されました。
ところが、ケベック州はこの1982年の憲法制定に署名しなかった唯一の州です。
理由は、フランス語の地位や州の自治権が十分に反映されていないと感じたためで、今日に至るまでその立場を変えていません。
そのため、ケベック州にとって「憲法」とは常に“他者によって作られた法”という象徴的な違和感を伴ってきました。
カナダ憲法の流れ:簡単年表で見る背景
年 | 出来事 | 主なポイント |
---|---|---|
1867年 | 英領北アメリカ法(British North America Act)制定 | カナダ連邦が成立。イギリスの法律として制定され、州と連邦の分権を規定。ケベックは創設メンバーの一つ。 |
1931年 | ウェストミンスター憲章(Statute of Westminster) | カナダが外交などで独立性を拡大。ただし憲法改正権は依然としてイギリスに残る。 |
1982年 | カナダ憲法法(Constitution Act, 1982)制定 | 憲法が正式に「本国」へ返還(パトリエーション)。人権憲章を追加し、改正権をカナダ政府に移行。ただしケベック州は未署名。 |
1990年 | ミーチレイク合意(Meech Lake Accord)失敗 | ケベックを「独自の社会(distinct society)」として認めようとしたが、他州の反対で崩壊。 |
1995年 | ケベック独立住民投票(2回目) | 独立賛成49.4%、反対50.6%と僅差で否決。カナダ史上最大の政治的分岐点。 |
2025年(予定) | ケベック独自の「州憲法」提出へ | 1867年・1982年に続く“第三の節目”。CAQ政権が法案を議会に提出予定。 |
💡 補足:
「1867年の憲法」はカナダという国の“設立法”、
「1982年の憲法」はカナダという国の“独立と人権の基礎法”、
そして今回の「ケベック憲法」は、カナダと言う連邦に属しながら、州としての“自己定義と文化的主張”を再確認・不動に確立する動きです。
野党の反発:「憲法は党のものではない」
今回のCAQ政権の憲法案に対し、野党3党(自由党・ケベック連帯・ケベック党)は強く反発。
自由党のパブロ・ロドリゲス党首は「野党との協議もなく、一党主導で進めるのは誤りだ。憲法は政党のものではなく、ケベック市民全体のものだ」と批判。
「多数派を頼みに押し通すなら、それは歴史的な過ちになる」と警告しました。
ケベック党のポール・サン=ピエール・プラモンドン党首は、「州である限り、憲法を作っても意味がない」と述べ、「ケベックの基本法はいまも1867年のカナダ憲法(=連邦法)だ」と主張。
ケベック連帯のルバ・ガザル共同代表も、「分断的な手法では国は作れない」と指摘しました。
政府側の主張:「独自憲法は前進の一歩」
一方で、ジョラン=バレット大臣とレゴー首相は「この構想は200年前の愛国者運動(Les Patriotes)以来の夢だ」と反論。
「独立運動とは別の文脈で、ケベック民族が自らの原則を確認するための憲法なのだ」と説明しました。
政府は今週中にも立法手続きを開始する見込みで、木曜日に正式提出される可能性が高いと見られています。
執筆後記
自分たちの選択とはいえ、カナダ憲法の枠外にとどまり続けてきたケベック州。
とうとう、自らの「基本法」を作れる政治的環境が整った感じでしょうか。
これが、1982年の“署名しなかった過去”への答え。
同時に、1867年の“連邦体制”を見直す宣言になるのかもしれません。
ケベック州議会で、スーパーマジョリティの座席数を確保しているCAQ。
一党主導で強引にこの憲法を可決させるのか。
これからのCAQの言動は「団結」へ向かうのか、それとも新たな分断を生むのか——
ケベックの憲法は、カナダの未来を映す鏡にもなりそうです。

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